ビハインド・マスク



   9

 テストは合格だそうだ。
 ギリギリだけどね、と当主は、クラリーネは言っていた。
 離れのメイドさんや執事のバナトールおじいさん、クレアを襲っていた三人組、その他もろもろ、みんなマスクの構成員が変装していたそうだ。
 騙されていたのはただ一人、フラッグの方だった。
 すべては作られたシナリオの上で、フラッグが踊っているだけだった。
 フラッグが待ち望んでいたラークという人間は存在せず、当主が勝手に作り上げた架空の人間だった。
 屋敷の離れはマスクに貸しのある貴族から、金で貸してもらったらしいが、詳しいことは分からない。
 テストに受かったんだから自室で待機してろ、の一点張りだった。
 実際、フラッグも何を聞いていいのか分からなかった。
 変な後遺症でも残りそうだった。
 道を歩けば、クレアが歩いてる気がする。
 クレアなんて人間、存在しないのに。
 ――じゃあ、僕が好きだった彼女は誰だったの?
 だから、あのいけすかない当主だったんだって。
 え?じゃあクレアは?
 いないんだって。
 死んだの?
 存在してなかったの。
 じゃあ、…え?


   * * *


 夜。
 消灯から数時間が過ぎ、残っていた個室の明かりもぽつぽつと消え始めた頃。
 フラッグは正式に与えられた自室を抜け出し、外に出た。
 今日は月が綺麗だ。
 吹く風は気持ちよく、足取りは軽かった。
 森の中に分け入ると、誰かの歌声が遠くから聞こえてきた。
 そしてフラッグは、それを頼りに、そこへ向かう。
 最初会った時と同じ場所で、フラッグはクラリーネに会った。
「…びっくりした。なんだ、あんたか」
 クラリーネはそれがフラッグだと分かると、安心した顔をした。
「私ね」
 ごろん、と横になる。
 適度に生えた草が、気持ちよさそうだった。
 フラッグも隣に寝転がる。
 ごろん。
「昔は、歌手になりたかったんだ。でも、時代的に歌手って、あんまり高貴な感じがしないでしょ?下を見れば酒場の歌姫、上を見てもせいぜい王宮の吟遊詩人。私の家は貴族だったから、まさか歌手なんてならせてくれるはずもなかった」
 すぐ隣に、クラリーネがいる。
 マスクの当主。
 でも、いつものカンに触る当主じゃなかった。
 誰にも分からない。本当の自分なんて。
 レギオンはそう言った。
 でも、フラッグは信じていた。
 すぐ隣にいる彼女は、本当の彼女だと。
 ――僕は一番最初に、本当の彼女を見たんだ。
 普段の彼女も彼女だけど、でも、本当の、そんなの誰にも分からないけど、でも、この場所はきっと、彼女がもっとも自分を感じられる場所なんだ。
「レーゼ家って知ってる?けっこう有名だったんだけど。私そこの一人娘でさ。身体が弱くて、家庭教師を雇ってた。初恋の相手もその人だった。理由は秘密だけどね」
 同僚に聞いてみた。テストはいつもみんなこんな風なのか――と。
 答えは、
「こんな事したの、あんたが初めてだよ。歌ってる所見られたのが悔しかったから、無理難題を押しつけて自信を無くさせて追い返すつもりだった。だって、あの時間が他の誰かに再現できるわけないから」
 そこでフラッグは初めて口を開く。
「でも、レギオンは当主に言われて、俺を励ましに来たんだよ?」
「…分かってる。あんたが、あんまりラークに似てたから。最後までやって欲しくなったのよ、…私は最後の返事まで、聞けなかったから」
「ラークって人は?」
「街で私が男にからまれてる所に助けに入ってね。そいつら刃物を持ってたから、そこで死んじゃった。喧嘩なんかしたこともないくせに、格好良く助けに入っちゃって」
「………」
 ラークという人物は、確かに。
 確かに、存在した。
「結局、告白はできなかった。だからあんたが助けに来て、しかも三人とも倒しちゃった時は――あの時のことがフラッシュバックしたって言うの?ちょっと演技を忘れたよ。でも言っとくけどあれ、減点だからね。三人組を演じた人たちにも、謝った?」
「…ああ」
「あんたが本当にラークを身に付けてくれていて、私も好奇心がわいた。このまま行くと、私が告白するシーンまで再現できちゃう。もしラークだったら何て答えてくれるのか、楽しみだった。あの時が蘇ったみたいで。それであんたは、真剣にラークと向き合って、答えてくれた」
 少女は目を閉じる。
 思い出しているのだろう。あの雨の日を。
 いや、虹の日の事かもしれない。
「すっきりした。あ、負け惜しみじゃないからね」
 ああ、これが彼女なんだ。
 そこに、本当の彼女が存在していた。
 それだけで満足だった。
「…でもさ」
 彼女が立ち上がる。
 見上げると、木々の隙間から、満月が見えた。
「今言ったことも全部、嘘かもしれないよ?クレアなんて、本当はいないのかも。難しい話は避けるけど、人間に知覚できることなんてほんの僅か。事実なんて、どこにもない。あの満月だって、誰かが存在を確かめたわけじゃない、地上の人がみんな、同じ幻を見ているだけなのかもしれない」
 そして、フラッグは言った。
「それでも僕は、信じるよ。――クレア」
 本当の名前を呼ばれた彼女はうっすらと笑い、振り向いて言った。
「――フラッグの、本当の名前は?」
 少年は、聞かれたそれに答える。
 その名前を聞いて、
「ふーん」
 クレアは、満足そうに笑った。
 事実なんて、どこにもない。
「これからも、よろしくね」
 と言った後に、少年の名前を付け足す。
 名前すらも、なにが確かなものなのか、誰にも分からない。
「うん」
 二人は寄り添うように、そしてマスクへ戻る。
 森の中へ、混沌の中へ。
 二人は仮面を付け、フラッグとクラリーネに戻った。

   END


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