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ビハインド・マスク
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離れとはいえ、内部の装飾は非常に煌びやかだった。
建物の規模こそ小さいものの、赤色と金色を中心とした、お金をかけたデザインだ。クレア一人のために建てたのだとしたら、相当の有力貴族だと推測もつく。
迷うことなく、フラッグはクレアの勉強部屋へ足を向けた。その足取りに、初めての道を歩く躊躇はない。
クレアの部屋は、真ん中にサロン、それを挟んで寝室と勉強部屋が中で繋がっていて、それらすべてを含めてクレアの部屋としてあった。寝室を除く二部屋はそれぞれ廊下に接した出入り口を持っており、立場上ラークは常に勉強部屋の入り口からクレアの部屋に入ることになっていた。
その扉の前に立ち、ノックをする。
「はーい」
クレアの声が聞こえた。クレアはすでに勉強部屋でスタンバイしているようだ。
がちゃ。
部屋の豪華な内装に目が行きそうになるが、それをぐっと我慢して、迷わずクレアの方へ視線をやる。
クレアは曲線を多く用いたデザインのテーブルに向かって、ノートを開いていた。下に敷かれた赤のカーペットは、洗うのがとても大変そうなくらい大きい。
「こんにちは」
「ちょっと遅刻ですよ、先生」
これでも恐らく普段着なのだろう、クレアは白のサマードレスを着ていた。華奢な肩が露出していて、涼しげな装いだった。
「ごめん、これでも走ってきたんだけどね」
さわやかに会釈する。玄関からこの部屋までは確かに走ってきたので、息が少し上がっているのはついでにそう理由づけた。
「えーと、宿題はやってある?」
「うん。後半、合ってるかどうか怪しいけど」
聞きながら、フラッグは向かいの席に座り、書類鞄を脇に置いた。
ここまでの動作は、先週から練習してきた通りだ。
人は生活習慣の中で、同じパターンの行動を恐ろしく正確に、それも無意識のうちに繰り返している。いきなりそれに取って代わるのなら、もっとも念を入れるべき練習は、依頼人が何気なく何度も繰り返している動作だ。フラッグはそう踏んで、先週から依頼人がよく人前で行う地味な動作を何度も練習していた。
授業のやり方は正直なところ、本人のやっている所を一度見せてもらいたいぐらいだったが、そうもいかない状況のため特に気をつけて練習した。
それから授業を初めて五分、クレアの反応に濁りが無いことを見て、まずまずラークに似せられているのだと判断する。
目の端で部屋の内装もだいたい把握したし、気持ち的にもゆとりができつつあった。
――ふう…なんとかなりそうだな…。
心の中で、安堵のため息をつく。
――それにしても。
左右にまとめた、金色のツインテール。胸に下げた、シルバーのネックレス。細い腕に、労働を知らない肌。それでいて顔立ちは、高貴さよりも活発なイメージがある。
――かわいーなあ…。
十六歳にしては幼さが残っている感じもするが、正直言ってフラッグは、少しラークのことを羨ましく思った。
ラークから宛てられた資料を見る限り、ラークは勉強一筋で、色ごとには無縁の人生を送ってきたのだと分かる。クレアについても同様で、本人の女の好みについて垣間見ることのできる文章は一行も見られなかった。
ああ、もったいない。
とても、もったいない。
――僕が思ってもしょうがないか…。
「あれ先生、今何時?」
「――えっ、」
ちょうどクレアの背後の壁にかけられた時計に目をやると、それの針は午後三時を指していた。
授業は順調だ。
「ああ、休憩の時間だね」
「はーい」
クレアはペンを置き、中庭に出るためサロンへ歩き出す。
いつものように、フラッグはその背中を追った。
*
サロンから中庭に出ると、木々に囲まれた小綺麗なカフェテラスがある。
赤煉瓦を敷き詰めた小道は乱れた所が一つもなく、道の両脇に植わった垣根もよく手入れされていた。
そこまで歩くと、白いテーブルに向き合って座る。
席の用意された所だけはツル科の植物棚が屋根の代わりになっており、所々から木漏れ日が差していた。
時を見計らったように、上品な手つきでメイドが二人分のお茶を出しに来る。
フラッグは、苦笑しそうになるのを堪えた。
――すごい家だな…。
それでも自然な風を装ってティーカップに口をつけるあたり、見栄にも似たフラッグの演技は、かなりレベルが高いと言えよう。
「先生、変なこと聞いていい?」
クレアが、突然言った。あまり質問はされたくないが、断る理由もない。
「ええ、どうぞ」
「先生さ。いつまで私の家庭教師、続けてくれるの?」
微妙な質問だったが、間を置かず、フラッグはすぐに続けて答えた。
「もちろんクレアが大人になるまでですよ。ひととおり勉強し終えて、最低でもクレアがこの家を継げるようになるまでは」
模範的回答だと思ったが、クレアは顔を逸らし、不満げな顔をする。
「大人かあ…私、この家を継げるのかな」
「大丈夫、そのころには病気も治ってますよ。早く元気になるといいですね」
この程度の嘘は、滑らかに言えて当然だ。
フラッグが少し危惧したのは、当のラークがここまでの演技力を有しているか、ということだった。
かといってラークの演技力に合わせて狼狽するフリをしたのでは、ラーク本人と道連れになって路頭に迷う可能性もある。
「うーん…でも…この街じゃ、元気になっても学校には通えないし…」
うつむきがちに話すクレアの横顔は、資料にあったよりもずっと繊細で暗い。
「――なぜですか?」
クレアは病弱だから、家庭教師を雇っていたと聞いている。
他に学校に通えない理由でもあるのか?
「先生と会えなくなるもん」
ぶっ。
ちょうど飲んでる時でなくて良かった。
「へへー、冗談。ときめいた?」
悪戯っぽく笑うクレア。しかし。
――フフ、ちょっと意表をつかれたが…それくらいでときめくほど青くないぜ…
なるほど。分かってきたぞ。
クレアは朴念仁なラークを、いつもこうしてからかっていたんだ。大人をからかうのは面白い。その気持ちは経験から分かる。
――困ったもんだ。まあ合わせておくか…。
「あんまりからかわないで下さいよ…」
敢えて恥ずかしそうに言うと、クレアは楽しそうに笑った。
「ごめん、本当はね…なんていうか…みんなと髪の色とか違うし…」
なるほど。
レーゼ家は元々、川向こうのレアカムの街の貴族だ。
トーヴェの人はだいたいが茶髪からグレーの間ぐらいの色なので、その違いは街を歩けば、くっきりと分かれて見える。
「そうか…でも、友達になってくれる人はいると思うよ。クレアみたいな可愛い子なら、なおさらだよ」
言うと、クレアは少し照れた。
「そ、そうかな。私、同い年の友達がいないから、自分が可愛いのかとか、よく分からなくて」
――不憫だなぁ。
「自信を持っていいと思うよ。…さ、もう勉強に戻ろうか」
――ラークにしては、少し饒舌過ぎたかもしれない。
会話を中断し、フラッグはクレアと共に中庭を後にした。
*
――ということに、なってるんだ』
長い文章を書き終えると、フラッグはペンを放り出した。
資料にあった状況から、展開が変わったこと。
それに対して、自分は任務を続けることにした、ということ。
一応クラリーネに連絡を入れた方がいいかと思い、フラッグは自室で例の手帳にその旨を明記した。
外はもう暗い。
今日は一日だけですごく疲れた気がする。これがあと最高で一ヶ月かと思うと、うんざりする。
――大丈夫、きっと慣れているフリをするのに疲れてるだけだ。そのうち本当に慣れれば楽になるさ…。
そう思いながらも、なぜだろう。教え子がクレアである以上、慣れるなんてことはあり得ない気もしていた。
程なくして、手帳の背表紙が赤く変色する。
開くと、何か書き込まれていた。
『字が汚い』
「な…」
なんて、嫌な女だ。
こっちは一日で精神的にもまいってるというのに。
お疲れさまの一言も言えないか、あのカエル女は。
どさっ、とベッドに倒れ込む。
休日を除いて、週中は毎日、家庭教師の仕事は続く。
「疲れた…」
慣れない街で、慣れない部屋で、やっとそれをつぶやくことが許された。
そっと目を閉じると、フラッグはそのまま寝入ってしまった。
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