神様の地球侵略



   3

 ダイビングという技術がある。
 自分の創った星を実際に歩き、触れ、住民の視点から惑星を観察することができる。
 転移にかかる時間も技術と共に短縮され、今では一時間もかからない。環境に適応するスーツも軽量化が進み、今では私服と変わらない。非常に精密な翻訳機も学校で貸し出ししており、自分の創った星の住民との会話も可能だ。
 スーツの方は耐久力に限りがあるので、惑星の状態によってはダイビングは危険、と判断され、転移を中断される事もある。もちろん住民との接触は危険だし、スーツの防御力を越える科学力を持った文明なら、創り主の命には何の保証もない。
 リスクが高いので普通の人は利用しないが、あいにくシャルテは普通の人ではない。
 今日も丸腰で、星の中のとある喫茶店でテレビ放送を注視していた。
 シャルテも身の保身ぐらいは考えるので、ダイビングには銃器の携帯が公的に禁じられた島国を選んでいる。だから安全というわけではないが、シャルテはそれ以上に、この星についての知識を集めたかった。
 日当たりのいい喫茶店で、カウンター奥のテレビがよく見える四人がけの席。そこがシャルテのテリトリーのひとつだった。他の住民に気取られることもなく、シャルテは星の住民に溶け込んでいる。
 衛星放送なら傍受して自室のモニターで見ることもできるが、自分の創った星の地上で見るのが、シャルテのこだわりなのだ。今さらながら、この社会そのものがすべて自分の手で創られているのだと思うと、少なからず感動もある。
 いつもは『ホット』と一言だけ店員に告げ、ホットコーヒーを飲むのが定期的な日課だったが、この日は少し違った。
「アイス」
 別に、テューユとの会話で熱くなったわけではない。自分はそんなに単純じゃない。
 理由などないのかもしれないが、この日は冷たい飲み物が飲みたかった。
 あまりに陳腐な表現だが、ひょっとしたらこれが――運命、というやつかもしれない。
「かしこまりました」
 と言ってから、少しして戻ってきた店員は、シャルテの席の近くまで来ると急に体勢を崩し――
「…っと、ととっ!」
 そう言いながら、テレビに釘付けのシャルテの横で――
 ガシャン!
 店内が一瞬静まりかえり、何人かの客が音のした方を振り返る。
 シャルテは自分に降りかかったアイスコーヒーを肌で感じながら、
「…冷たい」
 とだけ呟いた。
「す、すみません!」
 顔面蒼白になった若い男の店員は、腰から折って頭を深く下げた。そして慌ててカウンターへ戻り、渋い顔をした店長からタオルを受け取り、再びシャルテの元に駆け戻る。
「すみません、あー、服まで…」
 異性だからだろう、店員はタオルをシャルテに渡しただけで、自分で服を拭こうとはしなかった。シャルテは受け取ったタオルで黙々とスーツに付着した水滴を取っていく。
「申し訳ありません…」
 ホットにしておけば、これで終わりだっただろう。
 だが、今日注文したのはアイスで、運悪く。
 つーーー。
 こぼれたコーヒーと共に、シャルテの額を直撃した氷。ちょうどその場所から、赤い線がシャルテの顔に走った。
「ち、血!」
 シャルテは元から至って冷静だが、店員は慌てふためきながら、なんとかカウンターに戻り、指示を仰ぐようだった。
 これぐらいなら、母星に戻れば跡も残さず一瞬で治る。
 そう思ったシャルテは、黙って席を立ち、レジを素通りし(コーヒーは飲んでいないので、代金は不要と判断)店を出た。
 からんからん、という鈴の音はあったが、いつもの『ありがとうございましたー』の声は無い。そんな事を思いながら路上に出ると、シャルテは母星に戻ろうとした――
「きみ!」
 肩に手を置かれる。振り向くと、さっきの店員だった。
「ご、ごめんよ。本当に。そのままじゃダメだ。ちょっと動かないで」
 紛れもなくシャルテは常連だが、この男の店員をこれほど間近で見たのは初めてだ。胸のネームプレートに書かれた『相羽』という文字に初めて気づいた。
 相羽はシャルテを見下ろすと、ゆっくりとその額に絆創膏を貼る。瞬間、彼の手が額に触れたとき、シャルテの中で何かが警告音を発した。それが何なのか分からないが、シャルテは奇妙な違和感を覚える。
「これで、よし。本当にゴメン。今度サービスするからさ、懲りずにまた来てよ」
 …何なのだろう、この感情は。
 眉を寄せたシャルテの表情は、彼にはきっと嫌悪に映っただろうが。それでもシャルテは、当たり前のように首を縦に振ってから、踵を返した。
「また来る」
 極めて不必要な、そんな一言を残して。


 それから数日、すごい勢いでシャルテの部屋の扉が開いた。
 シャルテの個室を訪れる者など、たまに出るゴキブリを除けばテューユしかいない。
「シャルテ!」
 珍しく慌てた様子で、テューユは肩で息をしている。
「どうしたの」
「た、大変なの!私の今創ってる星!人口が爆発して、宇宙にまで移民を初めて…!」
「自慢話?」
 違うと分かっていたが、皮肉のつもりでシャルテは聞いた。
「違うわよ!それが、座標で見たら、移民先はちょうど、シャルテが星を創ってるエリアで…!」
 シャルテの表情が強ばる。
「それで?」
 語調も強く、聞いた。
「上層部を調べたら…間違いなくここ。この、シャルテの星を侵略する気みたい!シャルテ、私、どうしよう!」
 お互いの創った星は、全く別の星雲にある。接点を持つ確立は非常に小さいが、ゼロでもない。
 シャルテの創った星は、自然界のバランスが絶妙にとれている。侵略の対象になるのは分からない話でもない。
「どうするも何も…宇宙戦争にもならないわ、私の星の文明は他の惑星への移民もできないでいるんだから」
 文明レベルからして、シャルテの星に勝ち目など無かった。宇宙戦闘艦など無いし、補給しようにも他の惑星への中継点が無いので、補給路が存在しない。自分の生まれた地に足をつけたまま、迎撃戦をするだけが唯一の抵抗手段だろう。
「ああ…私、なんてことを…」
 ややパニック気味に、テューユはその場に崩れ落ちる。
 冷静にそれを見据えたまま、シャルテはモニターに惑星を映し出した。
「きっと私の星の文明は、その侵攻をまだ認知していないわね。…フフ、まいったな。どうしようかしら」
「シャルテ…」
「いいわ。私の方がリセットする。あなたの星の住民にあげるわ、このスペース」
 リセット。
 ――相手が悪かった。
 テューユだけは、シャルテが自分の創り出した物をどんなに愛おしく思っているか、それを知っている。
「ダメだよ、シャルテ…それは、シャルテだけは、他の人たちと違って…すぐに投げ出したりしなくて、ずっと一途に、創り続けてきた、特別な星なんだから…」
「特別なんてこと、ないわ。創り直せばいいだけの話」
「嘘!シャルテだけなのよ!一度もリセットせずに、成功も失敗も、ぜんぶ受け入れて、それを星の形にしてるの!その惑星は、シャルテのすべてが――」
 ダン!
 壁が軋み、天井のホコリがぱらぱらと降ってきた。
 シャルテは壁を殴りつけた右手をそのままに、トーンを落として話し出す。
「宇宙は無限で、時間も無限。同じ事が何度も繰り返されては、また消えていく。逆らえないものなのよ。今回はたまたまあなたが引き金になった、というだけの事。気にすることないわ。私は覚悟の上で創り直す、と言っている」
「……っ」
 それ以外に、打開策もなかった。
 テューユは何も言えなくなったし、だからシャルテも何も言わなかった。
 机の横のボード。モニターに映った青い星が、ただ一人で呑気に自転していた。


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